名ボクサー43

畑山 隆則(はたけやま たかのり、1975年7月28日 - )は、日本の元プロボクサー、元WBA世界スーパーフェザー級、ライト級チャンピオン。
青森県青森市出身。
血液型A型。
身長172.5cm。
日本人4人目の世界2階級制覇者。

青森山田高等学校を一度中退し、再入学し卒業。現在、太田プロダクション所属のタレント・俳優で、青森大学経営学部在学中。

通算戦績 29戦24勝2敗3分(19KO)


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中学時代は野球部でエースで4番をつとめ、将来の夢はプロ野球選手だった。
スポーツ推薦で青森山田高校に入学したが、先輩部員と対立し1か月で退部する。
かねてより、同郷のレパード玉熊の世界戦を見てボクサーも志望しており、辰吉丈一郎がWBC世界バンタム級王座を獲得した試合をテレビ観戦したのを機に高校を中退し、プロボクサーになるため、単身で上京する。
当初はヨネクラジムに入門するが、大人数の選手・練習生を抱える環境に馴染めず、京浜川崎ジムに移る。
柳和龍トレーナーと出会い、1993年6月、17歳でプロデビューし、翌年、全日本スーパーフェザー級新人王を獲得する。

1996年3月、東洋太平洋スーパーフェザー級王座獲得。

1996年11月、所属する京浜川崎ジムの会長が不祥事で逮捕されたのを機に、柳トレーナーとともに横浜光ジムへ移籍。

1997年10月、世界初挑戦。
WBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)に挑むが、引き分けで王座奪取ならず。

1998年3月、両国国技館で日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢に9回TKO勝ち。
同級王座を獲得し、事実上、世界再挑戦の権利も掴んだ(その後、世界再挑戦準備に専念するため日本王座は防衛することなく返上)。

1998年9月5日、崔に再挑戦。
前回の対戦同様、フルラウンドに亘る死闘の末、12回判定勝ち。
WBA世界スーパーフェザー級王座獲得に成功した。

引き分けで初防衛成功後、1999年6月27日、2度目の防衛戦でラクバ・シン(モンゴル)に5回TKO負けを喫し王座陥落。
試合後に引退を表明し、一時期はテレビタレントとして芸能界に入る。
しかし、翌2000年に引退を撤回し、ルディ・エルナンデストレーナーの下でプロボクサーとして再始動する。

2000年6月11日、復帰初戦でいきなりの世界再挑戦。WBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑み、5度のダウンを奪った末の8回KO勝ち。
日本人としてはガッツ石松以来2人目のライト級での世界王座奪取、さらに日本人4人目の世界2階級制覇を達成した。試合後のインタビューで、元東洋太平洋ライト級王者で3度の世界挑戦経験を持つ"平成のKOキング"こと坂本博之(角海老宝石ジム)を初防衛戦の相手に指名。
4か月後の10月に両者の対戦が実現し、10回KO勝ちで初防衛に成功した。

2001年2月、2度目の防衛戦は日本ライト級王座22度防衛を果たしたリック吉村(石川ジム/米国出身)と対戦。
大苦戦を強いられるも、三者三様の引き分けで辛くも防衛に成功(ただし、リックに1点減点があったため、減点がなければ畑山の敗戦であった)。
試合後のインタビューは「すいません」の一言だけで打ち切った。
同年7月1日、3度目の防衛戦で元王者のジュリアン・ロルシー(フランス)と対戦。
再三ロープに押し込みながらも、ことごとく有効打を浴び続け、結局12回判定負け。
王座から陥落した。試合後、畑山は「完敗です」「でもファンが僕の勝ちだと言ってくれたから、それでいい」と気丈なコメントを残し、結局、ロルシー戦を最後に正式に引退した。

引退後は芸能界でのタレント活動を中心に、格闘技中継の解説、実業家としての会社経営等、多方面にわたって活躍している。





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