名ボクサー44

竹原 慎二(たけはら しんじ、1972年1月25日 - )は、日本の男性プロボクサー、現在はタレント、株式会社カンピオーネ代表取締役社長。
所属事務所はオーバーレコード。
広島県安芸郡府中町出身。身長186cm。
元WBA世界ミドル級王者。

1995年に、「日本人には不可能」といわれたミドル級で世界王座を獲得し、一躍脚光を浴びた。
また、東洋人としてはセフェリノ・ガルシア( フィリピン)以来46年ぶり2人目の世界ミドル級王者となった。

通産戦績 25戦24勝1敗(18KO)



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1989年5月15日の但野正雄戦でプロデビュー。
4回KO勝ちを収め、デビュー戦を白星で飾る。
平山起代治に2度連続でKO勝ちし、北田義治を1RKOで下すと、同年12月23日の東日本新人王決定戦に出場。
ビニー・マーチンを6R判定で下し、第46代東日本ミドル級新人王になる。
翌1990年2月18日に、徳田晴久を2RKOで下し第36代全日本ミドル級新人王になる。なお同期には、八尋史朗や田村知範がいる。
同年11月26日には朴健洙(韓国)を相手に初国際戦を経験し、1RKO勝ちする。


日本王座獲得
1991年10月28日、王者・西條岳人に7RKO勝ちし第41代日本ミドル級王者になる。
後に東洋太平洋ライトヘビー級王者になる寺地永を2RKOで下し初防衛を果たすと、真田雄一(西澤ヨシノリ)とビニー・マーチンそれぞれを10R判定で下し、3度の防衛を果たして王座を返上した。


東洋太平洋王座獲得
1993年5月24日、李成天(韓国)に12RKO勝ちし東洋太平洋ミドル級王座を獲得。
同年11月22日にニコ・トリリ(インドネシア)を6RTKOで倒して初防衛を果たしたのを皮切りに、1度のノンタイトル戦を挟んで6度王座を防衛した。
95年9月12日に6度目の防衛戦で李成天と再戦を行った。8Rに左フックの相打ちでダブルノックダウンがあったが竹原が3-0の判定で防衛した。


世界王座獲得
1995年12月19日にWBA世界ミドル級王者ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)に挑戦した。
この試合は日本人初の世界ミドル級王座への挑戦であったが、竹原も得意とする打ち合いとタフネスさで並外れた強みを発揮するLocomotora(機関車)と呼ばれた百戦錬磨の兵の前に絶対不利と予想された。
試合は3Rに竹原は左ボディーブローでダウンを奪ったが、その後はシーソーゲームが続き、終始打ちつ打たれつの大激戦が展開された。
そして大接戦のまま試合は終了、判定は3-0で竹原を支持し、第20代WBA世界ミドル級王者になった。
なお、カストロはこの試合が105戦目となり、この試合以前はプロ・アマ通じてダウン経験がないため、カストロ自身初のダウンとなった。

1996年6月24日にウィリアム・ジョッピー(米国)を相手に初防衛戦を行った。
この王座初防衛戦試合前の記者会見で、挑戦者のジョッピーに「判定の必要はない。俺がKOで勝つ」「お前みたいなノロマが俺を捕まえられるか!」と挑発されたが、「顔に傷を作って帰ってもらいます」と反論するのが精一杯だった。
この興行はジョッピーと契約していたドン・キングもプロモーターに名を連ねた。
試合は竹原が初回にダウンを奪われ、出色のスピードを誇るジョッピーに終始ペースを握られる。
9RにレフェリーストップでTKO負けを喫し、わずか6か月で世界王座を手放した。
初防衛戦後、新王者のジョッピーは「もっと早い回に倒すこともできたけど、わざと試合を引き延ばした」とコメントし、前王者となった竹原も「試合を止められなければ倒れていた」と完敗を認めた。
しかしジョッピーは後々のインタビューで、竹原のパンチ力を高く評価するコメントも残している。

当時24歳とボクサーとしてもまだ若く、東洋圏のミドル級第一人者には再起が強く期待され、本人も再起を目指したが、眼疾(網膜剥離)が判明して引退を余儀なくされた。


引退後
引退後芸能界入りし、タレント活動を始めるが初めの頃は、日焼けサロンの店員等のアルバイトで生計を立てていた。



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2000年、TBSのバラエティ番組『ガチンコ!』の「ファイトクラブ」のコーチに抜擢される。
この企画は若者をプロボクサーに育て上げるというもので、約3年間続いた。
その3年間で12人の若者がプロテストに合格。
竹原の人気、知名度も上がり、以後の芸能活動、事業につながる。
同年に、『ガチンコ!』での名ゼリフ「お前ら弱い世界じゃ強いじゃろうが、強い世界じゃ下の下じゃ(ゲのゲじゃ)」を歌詞に入れたラップCD『下の下のゲットー』を通信販売。

2002年7月1日、元WBA世界スーパーフェザー級、同世界ライト級王者の畑山隆則とともに、東京都新宿区にT&H竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムを開く。

2002年、株式会社メディアワークス・ブルームと商品プロデューサー契約を結び、健康と美容のコンセプトブランド「30upDIET」を立ち上げサプリメントを発表。
その後、2004年のサウナスーツ、2005年の付加価値ウォーキングシューズ「マッスルトレーナー」がTVの通販番組を中心に大ヒット商品となっている。
同時にボクサフィットネスの動きを採用したダイエットエクササイズのビデオ、DVDを発行し、元アスリートとしてのノウハウも提供。
また、地元広島名物つけめんの名店「みんみん」とコラボレートし、こんにゃくを利用したダイエット用食品『激辛つけ麺』の開発にも携わるなど、経験を活かした商品開発でビジネスマンとしても活躍している。

2005年1月21日、テレビドラマ「特命係長・只野仁」にヤクザ役でゲスト出演。主役の只野役の高橋克典と1対1の対決シーンを演じた。同年3月には、青森山田高等学校通信課程を卒業。

現在は存在しないが、2006年1月31日まで大田区池上通りでイタリアンレストラン『カンピオーネ』を経営していた。
ちなみに竹原の広島の実家では「三甲」(広島市東区矢賀新町)という焼肉屋を竹原にそっくりの兄が経営している。
同年、Yahoo! JAPAN内のウェブマガジン「月刊チャージャー」に『竹原慎二のボコボコ相談室』の連載を開始。50〜60万アクセスを記録する。
相談室の名に似つかわしくない極めて辛辣な回答が人気を集める一方でいじめなどに関して過激な発言もあり、掲示板などで度々物議を醸している.

2006年10月から2007年3月までサンテレビで放送された音楽番組『VIVA!温故知新』でパーソナリティを務める。
また『週刊ヤングサンデー』連載中の「タナトス 〜むしけらの拳〜」(作画落合裕介)の原案を手がける。

2007年3月29日から、竹原慎二オフィシャルブログを開始。
毎回、「じゃあの。」で締めているので、コメント欄も「じゃあの。」であふれている。アメーバブログの有名人アクセスランキングでは開始5日目にしてTOP10入りを果たした。6月17日の「アッコにおまかせ!」で、この言葉がブログとともに取り上げられた。




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