名ボクサー45

具志堅 用高(ぐしけん ようこう、1955年6月26日 - )は、日本の元プロボクサー。
沖縄県石垣市出身。第3代WBA世界ジュニアフライ級王者。

通算戦績 24戦23勝1敗(15KO)


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沖縄県石垣市(石垣島)生まれ。
地元の中学卒業後、沖縄本島に渡り、興南高校に入学。
3年時、インターハイモスキート級で優勝。
高校卒業後上京。
拓殖大学の体育推薦入試に合格していたが、入学を辞退し、協栄ボクシングジムに入門。

1974年5月28日、プロデビュー。

1976年10月10日、わずか9戦目で世界初挑戦。"リトル・フォアマン"の異名を持つWBA世界ジュニアフライ級王者ファン・グスマン(ドミニカ共和国)に挑む。
前評判では圧倒的に王者有利とされたが、挑戦者が開始当初から軽快に動き回り、2回、4回にダウンを奪う。
7回、3度目のダウンを奪ったところでKO勝ちとなった。
沖縄県出身者初の世界王者が誕生した。
試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話したことから「カンムリワシ」の異名がついた。

1978年5月7日、広島県立体育館での5度目の防衛戦には、ハイメ・リオス(WBA1位/パナマ)を再び迎え、13回KOで倒した。

1979年4月8日、8度目の防衛戦を7回KOで勝つ。
1977年10月の3度目の防衛戦から6連続KO防衛であり、世界王座6連続KO防衛は日本人世界王者では具志堅しか達成していない。

1979年10月28日、8度目の防衛に成功。

1980年6月1日、12度目の防衛でライトフライ級の世界王座防衛世界新記録(当時)を達成。
その後、13度目の防衛にも成功。13連続世界王座防衛もまた全階級を通して日本ボクシング界史上最多記録である。

1981年3月8日、14度目の防衛戦で地元沖縄県での凱旋試合が実現。
前回の防衛戦で対戦したペドロ・フローレス(メキシコ)と再戦。
回が進むにつれ、挑戦者のプレッシャーをかわし切れなくなっていく。
12回、挑戦者の右ストレートをまともに浴びてダウン。
立ち上がり試合続行に応じたが、挑戦者の追撃に襲われる。
ここでセコンドからタオルが投入され世界王座陥落。この試合を最後に現役を引退した。

引退後は解説者として活躍する一方、芸能界でのタレント活動にも参加。
1994年には日本人初のボクシング世界王者でもある白井義男と共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開設。
現在は同ジムの会長として後進育成に力を入れ、元日本スーパーフライ級王者の名護明彦、元OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者の嘉陽宗嗣らを育てている。



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