古墳時代(3世紀末~6世紀末頃)中国大陸や朝鮮半島との関係が深まり、難波津は、古代日本の玄関口として、大陸からの渡来地、さらには使節往来の拠点として発展しました。渡来人の手で持ち込まれた窯業・鍛冶・建築・土木・宗教などのさまざまな文化や技術が、日本各地へ広がっていきました。この時代、大阪平野の各地には、仁徳天皇陵を始めとする王権の象徴ともいうべき巨大な古墳が出現しました。また、南の大和川の水を大阪湾に流すため、難波堀江の開削がされたり、堺や大和へ至る南北東西の道が整備されるなど土木工事がさかんに行われました。また、巨大倉庫群が作られるなど、難波津を拠点として、大阪は交易、商業都市としての役割がますます重要になってきます。
お名前:
Eメール:
URL:
次回のコメント時に自動的に入力されるよう、個人情報を保存しますか?
コメント: