前田 利益(まえだ とします、天文2年(1533年)?/天文10年(1541年)? - 慶長10年(1605年)?)/慶長17年(1612年)?) は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、前田利家の義理の甥。武勇に優れ、古今典籍にも通じた文武両道の将だったが、奇矯な振る舞いを好むかぶき者(傾奇者・カブキ者)としても知られた。妻は前田安勝の娘で、間に一男三女をもうけた。嫡男の前田正虎は従兄…
大国 実頼(おおくに さねより) は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家臣。直江兼続の弟に当たる。 永禄5年(1562年)、樋口兼豊の次男として生まれる。幼名は、与七。御館の乱では上杉景勝方として戦い、天正10年(1582年)、天神山城主小国重頼の養子となり小国氏の家督を相続する。このとき、景勝の命により、苗字を大国と改めた。官途は、但馬守。 天正14年(1586年)、新発…
上杉景虎(うえすぎ かげとら) は、戦国時代の武将。北条氏康の七男で、もとは北条三郎(ほうじょう さぶろう)を名乗ったという。上杉謙信の養子。母は遠山康光の妹。 元亀元年(1570年)10月、北条氏康が上杉輝虎(謙信)と和睦して越相同盟が結ばれた際に、謙信の養子(人質)として上杉家に赴く(当初、氏政の子国増丸が養子として決定していたが、幼子を養子に出すのは忍びないとの理由で養子から外された(15…
上杉 謙信/上杉 輝虎(うえすぎ けんしん/うえすぎ てるとら) は、戦国時代における越後の大名。後世、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれた。 上杉氏の下で越後の守護代を務めた長尾氏出身で、初名は長尾景虎(ながお かげとら)。兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いだ。主君・上杉定実から見て「正妻の甥」且つ「婿の弟」にあたる。 のちに関東管領上杉憲政から上杉氏の家督を譲られ、上杉政虎と名を変え…
上杉 景勝(うえすぎ かげかつ(長尾 顕景(ながお あきかげ)または長尾 景勝(ながお かげかつ) ) は、 戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権の五大老の一人。出羽米沢藩初代藩主。長尾上杉家(米沢上杉家)二代で、上杉宗家(重房を初代として)十七代目。 天正6年(1578年)3月13日、謙信が死去すると、相模の北条氏からの人質として送られてきた謙信の養子で義兄(または義弟)・上杉景虎…
直江 兼続(なおえ かねつぐ) は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家老。 父は長尾政景に仕えた樋口兼豊(木曾義仲の重臣・樋口兼光の末裔といわれている)。母は信州泉氏・尾崎重歳の娘(上杉家重臣・直江景綱の妹説もある)。 父・兼豊の身分についても見解が分かれている。米沢藩の記録書『古代士籍』『上田士籍』では長尾政景家老、上田執事との記載がある一方、『藩翰譜』によれば兼豊は薪炭吏だっ…