日本橋と紀州街道
■太閤さんの 時代から橋は大阪のシンボルだった
大阪の橋は重要な都市施設である。橋は、大阪の都市発展とともに歩んできた。なかでも大阪のヘソに位置する日本橋は、古くから交通の要所として重視された橋であり、上方人の自慢 のタネでもあった。
大阪の歴史のなかで、急速に都市が発展した最初の時期は、難波京の建設である。大化元年(645)、新しい政治体制(大化改新)のもとに難波宮への遷都が行われた。日本で初めての企画性をもった都市の誕生である。大坂は新しい政治制度や文化の導入をはかるのに、もっともふさわしい土地柄であった。
次に大きな都市発展がみられるのは、大坂城築城の時期である。豊臣秀吉は天正十一年(1583)、大坂城の建設を始めた。秀吉がこの地を選んだ理由は、石山本願寺が実証したように、淀川・大和川によって防衛上有利であること、京都に近く、支配地の中心であり、支配地拡大に都合がよいこと、そして何よりも、大阪が水陸両面の交通の要衝であることを大きく評価したものであろう。
秀吉の大坂城築城の背景には、難波京建設と同様に、積極的な対外政策があったと考えられる。
秀吉の大坂築城は、たんに城づくりにとどまらず、城下の市街地造成をともなっていた。
川が開削され、多くの橋が架設されていった。橋は人の集まるところとなり、商売も橋詰めが利用された。京都方面への表玄関になっていた京橋の南側では青物問屋が軒を並べ、北詰には鮒売仲間と称する川魚商が市場を開いていた。
こうして舟運や陸上交通の起終点である橋の存在は、都市的な賑わいを増す大坂のシンボルとしての位置を占めるようになっていった。

船運や陸上交通の基終点となった市中の橋。なかでも日本橋は大阪のヘソに位 置し、上方人の自慢のタネであった。(浪速区史)
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